478 | 五島慶太氏 | Qちゃん | 2002/09/13 10:20 | ||
okhrさんこんにちわ! >ヒートアップしている議論に水を差すようで申し訳ないのですが、なんかどこかで読んだか聞 いたかの記憶があるような…、といった程度なんですよ、実は…。 いえ、水を差すなんて(^^;私も書けるのは「玩具人生1」くらいで、向ヶ丘の駅やたまプラーザなど かなり前から知っていた気がしますので・・・読んだ記憶は私もあるのですがファン倶楽部の会報なのか?宇宙船なような気はするのですが?OUTとかかなとも思いつつ少しは昨日探してみたのですが・・・ >そこでよく考えてみたら、先般こちらで話題になっていた「盗まれたウルトラ・アイ」のダン彷徨 のロケシーンが、OVA「私の愛したウルトラセブン」での森次氏か市川氏のコメントで、「渋谷・ 道玄坂」と思っていたので、結構何にも考えずに、同じ渋谷で近いし「そうなんだろうな〜」と勝 手に納得していたような気がします。 森次さんのコメントありましたでしょうか?(^^;私の探し方が足りなかったようで度々すいません。 >あと、Qちゃんさん。 五島プラネタリウムのオープンは、東急創業者である五島慶太氏の逝去後であり、当然慶太 氏の故郷の先輩にあたる阪急の小林一三氏も鬼籍に入っておられました。 その上当時の東急は、自前で映画制作配給会社を持っていました。東横映画(東映と東急レ クリエーションの前身)です。東横映画は、東宝・大映・松竹・新東宝とともに五社協定を張る ほどの大手映画会社だったので、コネなんかなくとも自前でツァイスに発注できたと思います。 はい、ありがとうございます。私も東横映画は浮かびましたが大泉と合併(返済できないほど多額になり東横電鉄が手放す)が、1950年(東映誕生)なのとこの時期五島さんは鉄道省(今の人解るかな?(^^;)の方でしたので、そこまで掘り下げて書くと余計tsuzukiさんを混乱させまいかと思ったものですから。 もちろんokhrさんの言うように55.56年にも東横のパンプが残っていたかも?と思いましたが、個人レベルの発注やコネが(東横・東宝にしても)あるなしが関係あるかの答えでは省いてしまいました。 自前でと言うのはコネがないと言うよりは東横のコネがあったと言う事だと思います。 翌年1月に来たとあるので極東の日本にこの当時値段を外しても長くて13月で来てるのはやはり大変な事だったとは思います。 正しくはokhrさんの言う東横のパイプだったのかもしれませんね。 |
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