京王プラザホテル

帰りマン「大怪鳥テロチルスの謎」16分3秒、大勢の人々がテロチルスの繭を眺めます。その映像はセット(テロチルスの繭とミニチュアのビル)とロケ映像の合成ですが、そのロケ映像は西新宿のものです。そして人々がいたのは京王プラザホテルのわきです。

以下ではその裏づけを説明するために、そのロケ映像の2つのビルに注目します。1つは画面左端のビル。もう1つは屋上にドームのある建物です。

京王プラザホテル本館と南館の谷間
2003年11月
写真1

写真1は、西新宿にある京王プラザホテル本館と南館の谷間を西側から撮影した写真です。左の建物が本館、右の建物が南館です。写真1の左側つまり本館側の形が、問題の画面左端の建物の形と一致しています。つまり、画面左端の建物は京王プラザホテル本館です。

そうだとすると、繭を見ていた人々は、当時は無かった南館の前、写真1の車が停まっている辺りにいたことになります。

京王プラザホテル 本館と南館
2003年11月
写真2

帰りマン当時に南館が無かったことは、帰りマン「20世紀の雪男」16分42秒の映像(秀男の前でバルダック星人が巨大化する場面)で確認できます。そこには西側(新宿中央公園内)から写した京王プラザホテル本館があります。念のため、そこに写っている高層ビルが京王プラザホテルであることを確認するために、写真2を用意しました。写真2は京王プラザホテルの南西側からの眺めで、左側が本館、右側が南館になります。

教育センター(ドームつきのビル)跡地に建つビル
2003年11月
写真3

帰りマン「20世紀の雪男」16分42秒の映像からは、京王プラザホテル本館の南東側にドームつきの建物があったことも分かります。したがって、写真1の車が停まっている辺りから東(写真に向かって奥方向)を向けば、そのドームつきの建物がみえたはずです。

ちなみに、そのドームつきの建物は当時の新宿区立教育センターです。参考文献[1]によると、その教育センターの所在地は西新宿1−23−10で、昭和42年7月10日に竣工したそうです。地図で確認すれば、現在の京王プラザホテル南館の東側にあったことが確認できますし、時期的にも帰りマン当時(昭和46年から昭和47年)存在したと考えられます。また同文献によれば、科学教育のためにプラネタリウムがあったそうですので、屋上にドームがあったこともうなづけます。

現在、その教育センターは新宿区大久保へ移転しており、その跡地には写真3のようなビルが建っています。